ももたろすのBLOG

吃音持ち社会人の日常

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不意に聞こえてくるお経の声

我が家では数年前から不定期にお経の声が

聞こえる日常に変わってしまいました。

 

いつからかなと考えてみると、

ここ数年いろいろハードな出来事が多すぎて

記憶が曖昧ですがきっと5,6年前かなと。

 

鬱病を抱えている母が妹の病院の入退院、

施設の入退居で心身ともにすり減っている時に

これがまたタイミングとは恐ろしいもので。

 

母が不調の体をおしてやっていた職場で、

霊感のあるという人にあてられ。

もともと真面目だった母は、弱っていたとこにいろいろ言われるものだから

その後家族に霊が取り憑いている、家族本人ではないと言うようになりました。

 

そこからはよく分からない宗教にはまらなかったのは良かったですが時間構わず、

気に入らないことや精神的に不安定になると

お経を読み出すようになりました。

 

どこかに貢いだりするよりは、

先祖を頼る方が何倍もマシだと思っています。

 

最近では普通の声量で唱えていますが、

ひどい時は夜中それも深夜にそれなりの声で

お経を唱えるもので私の部屋まで聞こえて寝れず。。

 

まぁストレスですよね。

 

今日もやっとこさ布団から起き上がり、

遅れて1人で母が晩御飯を食べていて

テレビの音量をさげたことが気に入らなかった祖母が予定なひと言を発し、

 

さぁ、お経タイムです。

【吃音持ちの日常】市役所で嫌な気分になったお話

私の中で2023年は暗黒の年と呼んでいるのですが、これもその年に起こった出来事です。

 

色々あり私は引っ越しをすべく、

各種手続きや書類集めに奔走してる日々を送っていました。

 

私の抱えている吃音は心因性の要因が強く、

暗黒の年は例年以上に高負荷のストレスが

かかり続けていました。

心と体は繋がっているとかよく言ったもので、

この時の私は吃音の頻度も高く、

またそれだけでなく体重も減る一方でした。

 

この時の私は出社するたびに

「また痩せた?」と聞かれ、

無理矢理笑顔を作って

「いやぁ、人生ってしんどいですよねぇ!」と

笑い飛ばしていましたが家に帰って1人になる度このまま生きていていいことあるのかなぁと

人生に絶望していました。

(今も毎日不安に襲いかかってきますが、この辺りのお話はまた綴ろうかと。)

 

少し話が逸れてしまいましたが、

高いストレスがかかり続けた結果

吃る頻度もこれまで以上になっていました。

 

在宅勤務になってから画面越しだと、

緊張も緩和され黙りにくくなった!!と

嬉しくなっていたのも束の間でした。。

 

そんな中で引っ越し手続きで各所に電話を

しなくてはいけないので、

まぁ吃り吃り、その都度自己嫌悪に陥っていました。

 

その中でも1番精神的にきたのが市役所でした。

みなさんも住民票や戸籍を取る機会はあると思います。

いい意味でも悪い意味でも役所仕事だなぁと

思ったのですが書類を受け取る際に毎度名前を言うことを求められるのです。。

 

吃音のない方だとそうだっけ?となるかも知れませんがこれまで3つの市役所で全て同じ対応だったのでこれは諦めています。

 

でも普通に考えるとおかしな話で、

なぜ名前を言わされるんだろうと。

 

正直名前なんて代理で別人の名前をその場で

いって書類をもらうこともできてしまうので、

担保度合いはとても低くないでしょうか?

 

住民票をもらうときに吃りそうな感覚になったので免許証を提示しましたが、

担当の方から

「あ、提示は結構です。」

と提示する前に断られました。

 

ひどいケースでは、担当の方から

「名前をお願いします。」

と言われ、言葉がでずマスクの下で口をもごもごしていると不思議そうな顔をして、

「どうされましたか?お名前お願いします。」

 

こちらとて、言えるものならいいたいですよ。

言えない私が数秒後に連発を生じながらやっとのことで名前をいうと担当者の方は

 

「びっくりしたぁ。。」

 

とつぶやいたんですね。

何気なく発したのかも知れませんが、

しっかり聞こえる声で言われ。。

 

いやいや、びっくりしたってのはさすがひどいのではないかと。

まして、いろんな方がくる市役所の対応としていかがなものかと怒りが湧いてくるとともに

名前さえまともに言えない自分自身がとてつもなく惨めに感じ、ぐっとこらえ帰路につきました。

 

鬱病の母と障害の妹との激動生活

2024年になってもう2ヶ月が過ぎ去ろうと。

 

ブログ書くのに使ってたパソコンがついに壊れてしまい。。

(1年ほど前からディスプレイが付かなくなったりしてたのですが、電源のオンオフで直っていたので放置していたらついに。)

 

文字だけで見にくいですが、

怒涛の2023年を記録として振り返ろうと思います。

(パソコン買い替えたら書き直すかもです。)

 

2023年は年始に母が入院するというハプニングからスタートしました。

 

もう少し遡ると数年前から以前母が勤めていた職場の霊感のあるいう方にあてられ、取り憑かれていると家族に対していう日々が続いていました。

 

それだけでも祖父母にとってはすごいストレスだったと思います。

鬱病を抱えていたので元から精神的に不安定な時はありましたが、

ここ数年はそれがかなりひどく夜中に家のものを捨て始めたりお金をとられたと言い始めたり。

 

私は就職してから県外にいましたが、

実家に帰ったときには母から私ならこんなことは言わない、こんな行動はしないと言われることも多々ありました。

年末年始は母から祖父母ではないし、妹は数年間精神病院にいましたが帰ってきているので家には泊まらない方がいいと言われ、

年末年始をビジネスホテルで1人で迎えたこともあります。

 

家の中に付箋で、

「これ持ってきた人は持って帰りなさい。」や

「以前の職場の人へ、私に嫌がらせをするな。」

といった付箋が家中に貼ってありました。

 

母にそんなことはありえないと言っても、

信じてくれなくていいからと言われ話し合いにすらなりませんでした。

 

祖父母も母と話し合いをしようとしていましたが、途中から母が

「私の父や母はそんな母や母ではない」

といい無駄な口論の日々でした。

 

何とかならないかと悩みましたが母の病名やかかりつけの病院すら、

教えられていなかったので誰にこの現状を相談すればいいのか途方に暮れていました。。

 

 

【吃音持ちの日常】吃音にHSPが合わさると

最近になってHSP(Highly Sensitive Person)という言葉が浸透してきましたが、

私が子供の頃には聞いたこともなかったですね。。

 

HSPとは非常に感受性が強く敏感な気質を持った人らしいです。

 

これまでも外的刺激によって、

疲れたり周りが気になることが多くて私は繊細なんだろうなあ

くらいにしか思いませんでした。

 

HSPという言葉が気になり出して

調べていくうちに結構当てはまるなあと感じはじめました。

 

ネットでもHSPの診断ができるということで早速やってみたところ、

「あなたはHSPです」と表示され、少しホッとしました。。

 

「繊細」という抽象的なものより、

HSPとカテゴライズされた今のが少し気持ちが楽になった気もします。

 

でも病院で診断されたわけでもないし、

どちらかというと病気というより気質なので誰かに話せそうにないなあと

思っています。

 

自分なりにHSPだということはしっくりきているので、

無理に治そうとせずこれから上手く付き合っていけたらなと思っています。

 

私のHSP

改めて、どんなことで疲れるかなと振り返ってみました。

大体3つでまとめられるかなと思いました。

  1. 漫画・アニメ・ドラマでキャラクターや登場人物に共感しすぎてしまい、
    最後まで見ることができない。
  2. 声から敏感に人の感情の変化に気づいてしまう
  3. 声だけでなく、雰囲気やメッセージの文章1つ1つから感情を読み取ってしまう

 

1つ目、良い面と悪い面があります、

まず良い面としては、泣きたい時に簡単に泣けます。

特に漫画とかでは、感動シーンなどではすぐうるっとしてしまいます(笑)

感情が溜まりすぎてスッキリしたい時とかは便利といえば便利ですね。。

悪い面は、例えばドラマや映画でもですが誰かが恥をかいたり、

いじめられているシーンではやられてしまっている側の気持ちが流れ込みすぎてしまいます。

 

とてもじゃないですが「あああああ。。」となってしまい、

見ることはできません。。

恋愛系ドキュメントも同じように見れません。

HSPを違う言葉に置き換えると、共感性羞恥に近いのかなあと思っています。

 

吃音が取り上げられた有名な作品として、

英国王のスピーチ」がありますがきっと辛いという感情が流れ込みすぎて

見たい気持ちはあるのですが、まだ見るに見れていません。。

 

いつかは見たいなと思っています。

 

2つ目ですが、これは仕事にもすごく影響してきます。。

コロナ禍以降、私の仕事は在宅中心の働き方にシフトしました。

以前綴ったように在宅中心になったことによって吃音が楽になったというメリットは確かにあります。

 

motaro-x.hatenablog.com

motaro-x.hatenablog.com

 

普段から会議が比較的多いのですが、基本顔出しはしませんし声だけです。

つまり会議で外部からinputされる情報の中心が声になりました。

 

比較的上司とは、上手く関係性が築けているのかなと思いますが

それでも声できっと今は機嫌悪いなあとかイライラしているなあが

感じ取ってしまいます。

(上司自体は実際そうでもないかもしれませんが、

少なくとも私はそう受け取ってしまいます。)

 

私の吃音は自分の精神状態とも密接につながっているので、

上司のイライラを声から感じ取ってしまうと萎縮していまいます。

そして、話すことに緊張が伴い精神的ストレスが高くなります。

結果、吃ってしまうことが多いです。

 

3つ目で、声からだけでなく文字からでもと綴りました。

これは在宅うんぬんは関係ないのですが、

メールの文字や、言葉遣いの1つ1つで相手の感情を感じ取ってしまい

疲れることも多々あります。。

 

吃音を抱えていても上手く割り切れる方なら、

そこまでストレスにも感じないかもしれませんが

私はただでさえ周りの顔色が気になってしまいやすい性格なので

まあ、大ダメージです。。

 

自分だけがと言いたいわけではないですが、

我ながらなかなか荊の道を歩いてるなあと思う今日この頃です。

 

容姿が良くないのでダメですが、

この感受性の強さを生かして吃音がなかったら役者をやっていたら

役に入り込んで演じれてるかもなあと夢をみたりしました(笑)

 

読んでいただきありがとうございました。

【吃音持ちの日常】突然襲い来る吃音

忘れた頃に襲いかかってきて、メンタルを削りにくるのが私の吃音です。

 

最近は在宅ワークがほとんどということや、

周りに誰かいる状態での会議でもないので比較的に安定して話せていました。

 

私の中でも、もちろん日常会話や業務の中でも連発は出るものの

難発はそこまで出ていなかったので、

少し落ち着いたのかなーと思っていました。

 

そんなことはなかったようです。。

 

今日は、お小遣いの足しにと持っていたカードを買い取ってもらおうと

カードショップに繰り出しました。

初めは以前買い取ってもらったこともあり、

名前を言う必要がなく円滑に終わったところに行こうと思っていました。

 

そのカードショップに行くと、

まさかの一時買取休止の文字が。。

 

また別の機会にとも考えましたが、

せめてここまでに使った電車賃くらいはなんとかしたいなと

他のカードショップに行くことにしました。

 

その店は店員さんの感じが苦手なとこだったのですが、

まあいいかと行ったのが間違いでしたね。

 

これまでに2回ほどどちらも別のお店で買い取ってもらったことが

あったのですが、どちらの店も身分証の提示で済んでいました。

 

しかし、今日行ったところは最初から雲行きが怪しく

「買取お願いします。」の

「か」がなかなか出ませんでした。。

 

「えーと、えーーーっと、か、買取お願いします。。」

という感じでなんとか絞り出せました。

 

今日は土日ということもあり狭い店内もお客さんが多く、

買取の査定完了まで30分程度かかると言われたので

大人しく店内で待っていました。

 

しばらく待っていると、

「査定でお待ちのももたろす様〜」と呼ばれました。

 

やっと帰れると、カウンターに向かうと

「お名前をフルネームでお願いします。」

少し可能性は感じていましたが、

いざ言われると言葉が一切出ずと行った状態になりました。。

 

名前はでないなと思ったので、

財布から身分証を出してこれで勘弁してくれ!と思ったのですが、

「身分証は大丈夫ですよ!」と一言。

 

店員さんは少しでも手間を省こうと言ってくれたと思いますが、

私にとっては梯子を外された気分です。。

 

その時の私は表現しにくいのですが喉が苦しく、

「あ、これは出ないな。。」と感じました。

数秒何も出ず、喉の辺りに手を持っていきでないとアピールをすると

「なら身分証で大丈夫です」と。

 

身分証をあらためて提示してなんとか終えることができましたが、

カードショップを出た帰り道はとてつもない自己嫌悪感が。

 

最近の少し順調にいってわずかながらに築くことのできていた自信が、

あっという間に崩れました。。

 

今日は晩ごはんを支度する元気もないので、

コンビニで買って早く寝ようと思います。。

 

しかしどんな原理で、

声が出なくなるんでしょうね。。

不思議です。

 

風邪ならウイルスが影響して咳が出るかと、

こういう理由で熱が出るとか明らかになっていますが

吃音の原理も早く解明してほしいものです。

 

明日は少しでもいいことがあるといいな。

【吃音持ちの日常】恐怖の沈黙タイム

先日、会社のオンライン飲み会がありました。

 

当初はコロナも落ち着いてきたので、

お店でやろうとなっていたのですがコロナがまた増えてきたこともあり

直前でオンラインに切り替わりました。

 

個人的には、担当内の飲み会ということもありましたが

幹事もやっていなかったのでたまには対面もありかな〜

と思っていたところだったので、

少し残念でした(笑)

 

担当内と言っても規模次第では、

ストレスにしかならないのでとても苦手ですが。。

 

なので同じ部の40人くらいで実施する年末などの忘年会はとても憂鬱でした。

 

慣れ始めてきたところの落とし穴

吃音の難しいところが、相手の人となりを知って

多少フランクに話せるようになったとはいえ吃ることです。。

 

短い言葉でも吃ったりしてしまいます。

比較的難発は出にくいですが、

気を抜いた時にくる連発が要注意です。

 

特にオンライン飲み会だとどうしてもラグや

同じタイミングに話出さないようにみんな気を遣っているので

話だすタイミングにも気をつけないといけないので一苦労です。

 

中でも私が苦手なのが2つあります。

 

1つ目は、聞き返されることです。

会話の流れの中でなんとか言えた言葉でも

聞き返されてしまうと吃ってしまうこととがあります。

(今日もありました。結果変な空気に。。)

 

オンラインなので電波状況などで

しょうがないですがこれも精神的にはしんどいかったです。

 

2つ目は、話をした後の沈黙の時間です。

私の場合は、吃音に加えHSPの傾向もあるので

常に人からどう見られるかや人の反応で一喜一憂してしまいます。。

 

今日も話題がなくなり、

失敗談について一人ずつ聞いていく場面がありました。

 

以前ブログにも綴った財布を忘れて

帰り無くなりそうになった話をしました。

 

内心、なかなかある出来事じゃないので

これはみんなも笑ってくれるといいなあと思って意気揚々と話しました。

 

話終わった時の私は客観的に見ることはできていませんが、

そこまで吃らず話せたかなと思っていました。

(多少、ダラダラ長く話していたかもしれませんが。。)

 

話終わった後、どんなリアクションがくるのかなーと

思っていたら誰も何も話さず。。。

5秒くらいでしょうか。

体感にしてはもっと長く苦しい時間でした。

 

時間が経てば経つほど、

私へんな喋り方しちゃってたかな。

早口すぎたかな。

吃りすぎてみんな引いたのかな。

など頭の中でぐるぐる考えていました。

 

あの時間は精神衛生上良くないですね。

どんどん自己嫌悪感に襲われます。

 

その後、先輩の一人が俺もこんなことあったよと

話し出してくれたのですが、

私にとってはどう思われていたのだろうかという悩みがよぎり続けています。。

 

こういうことがあるので、

小さな複数の成功体験も今回のような1つの失敗というか

出来事で帳消しどころかマイナスまで行ってしまいます。。

 

まず話せたことをえらい!

と自分自身を褒めてあげたいのですが、

とてもそんな気分には慣れない今日この頃です。

 

読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

障がいを抱えていたら子供はどうするべきか。

ここ最近、仕事や私生活のストレスがすごくて更新できていませんでした。。

トレスのない生活は難しいことは分かっていますが、

もう少しせめて世間一般の暮らしがしたいなあと感じる今日この頃です。

 

「障がいをもっと人は子供を産むべきでない」というTweetを見て思うところがあったので、

綴ってみようと思います。

ナチス政権下の人の選別

近いところとしては、ナチス時代(確か1930年代あたりだったと)に

国民を健康にするためといった名目で、障がいを持っている人をまとめて殺害していましたね。

ナチスの場合は、ヒトラー自身が優勢思想を持っていて国民が健康になるためならある種の人の選別をして不要な人間は殺してしまってもいいという考えを持っていたそうです。

 

そんな人が国の指導者になってしまったものだから、

手当たり次第選別が行われますよね。。

 

私や私の家族もその事態にナチスに生きていたら、

十中八九対象にされていましたね。

 

今では考えられない出来事が時代や思想、指導者によっては平然と行われていた時代があったようです。

 

デンマークでも障がい者だけの地域があったようです。

これもどういう背景でそのような地域が生まれたのかとても気になっています。

閉ざされた世界で過ごすことが果たして幸せなのか、

考えさせられますね。

(まだ私も理解しきれていないので、後日リライトしようと思います。)

 

障がいを持っている人や親族に障がいを抱えてる人は子供を作ってはいけないのか

これもまた色々な意見があるテーマだと思います。

 

医学で障がいが遺伝するとは明確に証明されていませんが、

とはいえ世間の認知からすると障がいは遺伝するという意見が多いのかなと感じています。

 

私自身も兄弟姉妹が障がいを抱えていて、

辿った時にどうやら父方の親族に障がいを持った方がいたようです。

 

とはいえ、母も結婚して出産するまでは知らなかったようなので

特に責める気持ちはありません。

父にはなぜ事前に母に伝えなかったのかはとても憤りを覚えていますが。。

 

仮に父が母に伝えていたら、

私はこの世にいなかったかもしれないので批判しきれない私もいますが。

 

今でこそ、障がいが認知されるようになり

子供が小さい段階で検査することにより発見率も上がっています。

昔は今よりも障がいが世間的にも認知されていなかったので、

軽度の為、気付きにくい隠れ障がい者も多数いると思っています。

 

父の記憶はそこまであるわけではありませんが、

父も検査をしていないから気づかれなかっただけで

何かしら抱えていたのかもしれません。

 

今思うと、叔父も何か抱えていたのではないのかなあと思ったりもします。

 

少し脱線してしまいましたが、

私は障がいを持った方が子供を作るのには特に反対意見は持っていません。

 

ただ覚悟は持ってから子作りをすべきだとは思っています。

自身の家庭環境や親の状況を踏まえて育てられるのかを慎重に判断しなくてはいけません。

 

周りを見ていて思うのは障がいを持った子供2人を育てるのは、

ほぼ不可能だと思っています。

 

私も母を見ていて、片親ということもありますが

1人ですら思春期を迎え多感な時期になってくると手が追えません。。

 

常に見守っていないといけないので、仕事もろくにできなくなります。

 

どうしても子供がほしいと思うのなら、

まずは一人。

そして特にハンディを持っていない子供が生まれてきてくれたとしたら、

その時にあたらめて金銭的な面や親族の状況を踏まえて判断すべきだと思っています。

 

もちろん何かしらのハンディを抱えてたとしたら、

全力で育てていく覚悟をと共に。

 

私自身も子供は好きです。

小さい頃から父を反面教師にして、温かい家庭が築いていきたいなと願っています。

そういう機会が来たらまずは一人。

 

特別何か特出したことはできなくてもいいから、

どうか健康的に生まれてくれるといいなあ。